大阪の風土・地理偏1 渡辺さんは大阪出身?
大阪のビジネス街の中心に坐摩神社(いかすり神社・通称ざま神社)があります。この神社の住所は「大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号」になっていて、番地が渡辺と風変りな住所になっています。この住所が渡辺さんの発祥の地です。
平安時代、渡辺の地と呼ばれていたのは今の天満橋の南西付近。その地の守り神であった坐摩神社は、豊臣秀吉が大坂城を築く際に現在の地に移転させられ一緒に渡辺さんの地名も引越しました。
渡辺とは「船の渡しの辺り」という意味で、その名の通り渡辺津と呼ばれる重要な港がありました。江戸時代に名前が変わりましたが、今の遊覧船の発着場として賑わう天満橋のたもと、八軒家浜になります。
平安時代の中頃、その渡辺津に一人の男が現れたのですが、その男は嵯峨天皇の流れをくむ武将・源綱(みなもとのつな)です。彼は渡辺の地に住み港湾業務を取り仕切っていたことから、自らを渡辺綱と称しました。最初の渡辺さんの誕生です。彼の子孫は渡辺党という武士団に発展し、瀬戸内の水軍として全国に散っていきました。
今日も渡辺姓の聖地を守る坐摩神社ですが、第58代宮司もまた渡辺さんとのことです。
平安時代、渡辺の地と呼ばれていたのは今の天満橋の南西付近。その地の守り神であった坐摩神社は、豊臣秀吉が大坂城を築く際に現在の地に移転させられ一緒に渡辺さんの地名も引越しました。
渡辺とは「船の渡しの辺り」という意味で、その名の通り渡辺津と呼ばれる重要な港がありました。江戸時代に名前が変わりましたが、今の遊覧船の発着場として賑わう天満橋のたもと、八軒家浜になります。
平安時代の中頃、その渡辺津に一人の男が現れたのですが、その男は嵯峨天皇の流れをくむ武将・源綱(みなもとのつな)です。彼は渡辺の地に住み港湾業務を取り仕切っていたことから、自らを渡辺綱と称しました。最初の渡辺さんの誕生です。彼の子孫は渡辺党という武士団に発展し、瀬戸内の水軍として全国に散っていきました。
今日も渡辺姓の聖地を守る坐摩神社ですが、第58代宮司もまた渡辺さんとのことです。
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