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大阪の歴史偏2 大阪府はかつて現在の奈良県も含んでいた

明治維新後、新政府は没収した旧幕府領を「府」や「県」として直接統治を始めました。明治2年に版籍奉還、明治4年に廃藩置県を行い、新政府が府知事・県令を派遣し地方行政にあたり、政治的に全国統一が完了しました。

最初は「藩」を「県」に置き換えただけだったので3府302県でしたが、その後統廃合を実施し明治4年末には3府72県に統合されました。この結果、摂津国を中心とする「大阪府」、河内国・和泉国の「堺県」、大和を管轄する「奈良県」が誕生しました。

その後も新政府は全国的にさらなる統廃合を進めて、明治9年に堺県が奈良県を統合し、明治14年にその堺県を大阪府が統合しました。この時点で大阪府は、摂津・河内・和泉・大和を含む広大な地域を統合することになりました。

この堺県合併の理由は、「大阪府は河川が多く多額の橋梁堤防費を必要とするが、管轄地が狭く税収入が少ないため堺県を合併して改善したいから」と言われています。

この堺県合併から、大阪府は人口の多い摂津・河内・和泉の河川等に重点投資をし、人口の少ない大和への支出は抑えられました。このような状況から奈良県復活の運動が起こり、明治20年新奈良県の再設置が認められました。

上記から、明治14年から明治20年まで、大阪府は現在の奈良県を含む広大な地域を管轄していたことになります。
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