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大阪の経済・産業編4 東洋の魔女は大阪生まれ?

スポーツ中継の歴代最高視聴率は66.8%で、その番組は1964年(昭和39年)東京オリンピックの女子バレーの決勝戦でした。当時、日本チームは「東洋の魔女」と呼ばれ、宿敵ソ連との戦いは、ほとんどの年配の方であれば記憶されているでしょう。

この決勝戦の先発メンバー6人全員が、実業団チーム「日紡貝塚」の選手で、日本代表でみても12人中10人を占めていました。

日紡貝塚は、1954年(昭和29年)大日本紡績(ユニチカ)が大阪の貝塚工場に女子バレーボールチームを設立したことが始まりです。メンバーは約3,000人いた女子社員の中から、「鬼の大松」と呼ばれた大松監督が選抜しました。監督の厳しい指導の下、258連勝を記録し圧倒的な強さを誇りました。

紡績会社を母体にした実業団チームは、企業も大阪に拠点を置くのが特徴でした。かつて大阪は一大紡績工業地帯で、明治末期には綿紡績の生産額が日本一だったと言われています。

大阪における紡績産業の隆盛を土台に「東洋の魔女」は活躍しました。「東洋の魔女」は大阪生まれであることを、歴史の一ページに記憶しておきたいですね。
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