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7・かん袋のくるみ餅

かん袋は鎌倉時代末期に和泉屋徳兵衛さんが、和泉屋という商号でお餅司の店を開いたのが始まりです。安土桃山時代に豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。1593年の春中ごろ、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳兵衛さんは、容易に片付かないと思い毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り投げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は度肝を抜かれました。これを見た秀吉が「かん袋が散るように似ている」とその腕の強さを称えました。秀吉は「以後かん袋と名付けよ」と命じ、それより「かん袋」が和泉屋さんの商号になりました。

室町時代の中ごろ(1420年ころ)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛さんは塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名付けられました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられて現在のくるみ餅となりました。明治時代になると冷凍技術が輸入され氷が簡単に作られるようになると、かき氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から夏になると涼感を求めて大勢の人が行列を作ります。夏の暑い時期、堺の歴史に思いを寄せながら「氷くるみ餅」をいただくのはいかがでしょうか?
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