11・徳川家康は堺で最期を遂げたのか?
堺市にある臨済宗の禅寺・南宗寺は、1557年に当時室町幕府で実権を握っていた三好長慶によって造営されました。1615年大坂夏の陣の直前に豊臣方によって寺は焼かれてしまいますが、1619年今の場所に再建されました。
南宗寺の歴史を記した「南宗寺史」には、『大阪夏の陣の時、家康は茶臼山の激戦に敗れ堺に逃げる途中、後藤又兵衛の槍に倒れる。遺骸は南宗寺開山堂下に隠され、徳川の世となってから久能山に改葬され、さらに日光山に移送した』という伝説が記載されています。
南宗寺には、その伝説を裏付ける様々な証拠が残っています。まず、家光が三代将軍になった年、秀忠・家光親子が寺を訪れたという記録が残っています。次に昭和20年に戦災で焼失するまであった堺東照宮。東照宮は家康を祀る神社として各地にありますが、なぜ堺の禅寺に作られたのか?真相は現在でも謎のままのようです。。。
南宗寺の歴史を記した「南宗寺史」には、『大阪夏の陣の時、家康は茶臼山の激戦に敗れ堺に逃げる途中、後藤又兵衛の槍に倒れる。遺骸は南宗寺開山堂下に隠され、徳川の世となってから久能山に改葬され、さらに日光山に移送した』という伝説が記載されています。
南宗寺には、その伝説を裏付ける様々な証拠が残っています。まず、家光が三代将軍になった年、秀忠・家光親子が寺を訪れたという記録が残っています。次に昭和20年に戦災で焼失するまであった堺東照宮。東照宮は家康を祀る神社として各地にありますが、なぜ堺の禅寺に作られたのか?真相は現在でも謎のままのようです。。。
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