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大阪の歴史偏3 豊臣秀頼公銅像

豊臣秀吉が大坂城を築城し、玉造稲荷神社が三の丸に位置したことから大坂城の鎮守神として祀られ、この神社付近には前田利家をはじめ宇喜多秀家、細川忠興など名立たる武家・町人が屋敷を構えました。

昔から玉造は良質の水に恵まれ、同じく玉造に屋敷を構えていた千利休、古田織部などはこの地で多くの茶会を催したと言われています。

また、豊臣秀頼と母淀殿の崇敬が特に篤く、社領5百石を寄進され、南玉造町が朱印地となりました。慶長8年(1603年)には加藤嘉明等に命じ、天正年間に荒廃した社殿を再興し、その銘が入った鳥居も境内に現存しています。同じく境内には秀頼と淀殿を結ぶ胞衣を祀る胞衣塚大明神も鎮座しています。

その後、慶長19年(1614年)におこる大坂冬の陣では、玉造稲荷大社の東には浅井井頼らが、南には明石全登、木村重成、長曽我部盛親や大谷吉治らが、城外南では真田幸村が大坂城の守りを固めていたといわれています。

それから400年後となる平成23年(2011年)には文化勲章受章・日本芸術院会員の中村晋也氏が当時の資料をもとに製作し、「豊臣秀頼公」銅像が建立されました。
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